6 般若と鬼
若い修行僧の師は 『なにごと』と 顔をあげ わが身の背中の辺りを見つめる弟子の視線を追い ふりかえる。その右横に座るものも『不振』と振り返る。
『ハッ』師は息をのみ 右横の者は『ガッ』と驚き立ち上がる。
白く浮かび上がった般若の顔が 洞穴の前で静かに建ち尽し 伺っている。
「うっ」数珠を手に 『失せて無くなれ』と声をだすその時 修行を積んだ僧は 般若の身なりと脚を確認する。
「こどもかっ」と すぐに思いつく。
般若は 僧の横に立ち上がる者に顔を向け その姿かたちを確認して
「ひっ」と叫び 踵を返して 闇の中に走り去ろうとする。
「いかんっ」般若の正体を見抜いた僧は すかさず立ち上がり。
「だいじょうぶだ。走ると危ういぞ」瞬時に般若に近づき抱きかかえる。
「ひーっひーっ」と 般若は息を漏らして 徳のある僧の腕の中で暴れ、僧は手に負えない般若を洞窟の中に必死で連れ込んでゆく。
「わーっ 離せっ オイラはかえるぞ 帰るからはなせ離せ」
連れ込まれた般若はあるだけの元気をだして 手足をばたつかせ暴れまくる。
「おっおおおっ 落ち着け。儂じゃ 旅の坊主じゃ・・・めずらしい菓子もやったろう。妖怪の話もした。つい先ほどもこうして抱えた旅の坊主じゃ。ななっなあ ・・落ち着いてくれ」
最後は懇願していた。
「んっ」 般若の動きが ぴたり と とまる。ずれた般若の面をずらしてしまい 抱える僧をちらりと見上げて
「あっ 旅の坊主」と あっけに取られて言葉をこぼす。
「旅の坊主とはなんだ。そう呼ぶなと いったであろう・・。」
脇に抱えられたまま、般若の面をはずして ボウは 「あっ」思い出したように 自分が恐怖で逃げ出すきっかけの者に目を向けてみた。
「あ゛ーっ」そのものを確認すると 再びカンシャク玉のように暴れだした。
「わーっ鬼だっ オニオニ 鬼だ」
「わかったわかった。おちつけ 落ち着いてくれ。獲って食いわせぬ」
力の限り 命の力の限り暴れる童子に
「こら子供 今夜だけでお前は儂に十年分の怪我を負わせる気か」
と 愚痴ってみたが 童子が静まることは しばらくの間なかった。
ボウは視野の狭い般若の面ごしに視線を走らせる。
若い僧が尻餅をつくのを確認し 旅の僧も確認した。そしてその右横に
もじゃもじゃ頭の赤ら顔を確認した。そして それはたちあがる。
それはゆっくりヌーと立ち上がり 小さく見えていたもの 今まで見たどの大人達よりも高く 高く立ち上がり 岩の天井に もじゃもじゃ頭をつけていた。
『鬼だ』言葉に出したつもりが 言葉にならない。考える暇すらない 身体は今歩いてきた道を 回れ右して走り去ろうとしていた。が、衝撃と共に地から脚が浮く。
耳に何かが聞こえている気もするが それどころではない。
『喰われる』その思いがわきあがり暴れに暴れまくっていた。
捕らわれたわが身を あるだけの力で暴れさせる。その耳に聞きなれた声が聞こえてきても すぐには理解出来ない。死ぬ間際の走馬灯の一部かと思い考えると ふと 先ほど同じような状態で 同じ声をきいていたのを思い出す。『ん?』
ボウは般若の面をずらして見上げてみる。
「あっ 旅の坊主」
先ほど 寺の境内を登りきったときと同じ言葉をこぼし 同じ叱りの言葉が 同じ声で返ってきた。
「旅の坊主とはなんだ。そう 呼ぶなといったであろう」
ボウは安心したのもつかのま 今 感じていた恐怖の元に 視線をなげてみた。まさに得体の知れない者をみて もって生まれた防衛本能は あるだけの力 だせるだけの力で手足を動かせと命令してくる。
「わーっ鬼だ オニだーっ」
魂の奥底から あるだけの元気が出尽くすまでのあいだ。旅の坊主は蒼痣を増やしていった。
4
「んー・・・。」
子供の腕組みをした身体からは 唸り声だけが出ていた。
それは恐怖からではなく 苦しみからでもなく 言葉に出来ない想いが喉の奥底から自然とこぼれて来ているのだった。
「んー。」
落ち着きを取り戻して 坊主にしがみついて一点を観ていると
「まあ座れ いいから座れ」
と 地面に下ろされ 促す場所に 一点を見つめたまま 恐る恐る腰を下ろした。
視線を釘付けにしているものを 頭の先からゆっくりとつま先まで見てゆく。
「うーん・・。」
くるくると まるまったくせ毛が 焚き火の灯りで光っている。
ボウは背筋を伸ばし すこしずつ腰を浮かして立ち上がる。
「つ・・角が・・ないな・・。」
つぶやいてみる。
「みえないだけかな・・。」
少し腰をさげ
「眉もあかいや・・。目は・・オイラは茶目だけど ・・もう少しうすいなぁ・・鼻は凄くたかいや」
恐怖と好奇心で ぶつぶつとつぶやきながら鬼を観察していた。
「赤鬼かな・・・。身体はでかいや 厚みもあるし でも 怪力和尚のほうが強そうだ」
身体は毛深く 普通の大人よりもたくましく見えるが やつれた感じが見て取れる。腰にはボロをまとい 肩からは袈裟の お下がりをかけている。身体の露出している場所は赤っぽい 日に焼けているのか垢なのか 赤鬼だからか・・。
手足はヒョロリと長く みかたによっては かなりのあいだ ヒモジイ思いをしてきて 痩せこけたようにも見える。
「うーん」
ボウは再びうなり 鬼の顔を見つめる。
彫が深く 高い鼻 灯りのあたり具合によっては獲物を狙う山犬を連想させる。
「やっぱり ・・肉ばかり食べるのかな・・。」
ボウが鬼を観察し ぶつぶつとつぶやいていると 鬼が少し黄ばんだ白い歯をみせて ニッ と笑う。
「うっ」突然の笑顔に驚いて 腰を抜かしてボウが座り込む。
それを見て 旅の僧が愉快だと笑い出す。

若い修行僧の師は 『なにごと』と 顔をあげ わが身の背中の辺りを見つめる弟子の視線を追い ふりかえる。その右横に座るものも『不振』と振り返る。
『ハッ』師は息をのみ 右横の者は『ガッ』と驚き立ち上がる。
白く浮かび上がった般若の顔が 洞穴の前で静かに建ち尽し 伺っている。
「うっ」数珠を手に 『失せて無くなれ』と声をだすその時 修行を積んだ僧は 般若の身なりと脚を確認する。
「こどもかっ」と すぐに思いつく。
般若は 僧の横に立ち上がる者に顔を向け その姿かたちを確認して
「ひっ」と叫び 踵を返して 闇の中に走り去ろうとする。
「いかんっ」般若の正体を見抜いた僧は すかさず立ち上がり。
「だいじょうぶだ。走ると危ういぞ」瞬時に般若に近づき抱きかかえる。
「ひーっひーっ」と 般若は息を漏らして 徳のある僧の腕の中で暴れ、僧は手に負えない般若を洞窟の中に必死で連れ込んでゆく。
「わーっ 離せっ オイラはかえるぞ 帰るからはなせ離せ」
連れ込まれた般若はあるだけの元気をだして 手足をばたつかせ暴れまくる。
「おっおおおっ 落ち着け。儂じゃ 旅の坊主じゃ・・・めずらしい菓子もやったろう。妖怪の話もした。つい先ほどもこうして抱えた旅の坊主じゃ。ななっなあ ・・落ち着いてくれ」
最後は懇願していた。
「んっ」 般若の動きが ぴたり と とまる。ずれた般若の面をずらしてしまい 抱える僧をちらりと見上げて
「あっ 旅の坊主」と あっけに取られて言葉をこぼす。
「旅の坊主とはなんだ。そう呼ぶなと いったであろう・・。」
脇に抱えられたまま、般若の面をはずして ボウは 「あっ」思い出したように 自分が恐怖で逃げ出すきっかけの者に目を向けてみた。
「あ゛ーっ」そのものを確認すると 再びカンシャク玉のように暴れだした。
「わーっ鬼だっ オニオニ 鬼だ」
「わかったわかった。おちつけ 落ち着いてくれ。獲って食いわせぬ」
力の限り 命の力の限り暴れる童子に
「こら子供 今夜だけでお前は儂に十年分の怪我を負わせる気か」
と 愚痴ってみたが 童子が静まることは しばらくの間なかった。
ボウは視野の狭い般若の面ごしに視線を走らせる。
若い僧が尻餅をつくのを確認し 旅の僧も確認した。そしてその右横に
もじゃもじゃ頭の赤ら顔を確認した。そして それはたちあがる。
それはゆっくりヌーと立ち上がり 小さく見えていたもの 今まで見たどの大人達よりも高く 高く立ち上がり 岩の天井に もじゃもじゃ頭をつけていた。
『鬼だ』言葉に出したつもりが 言葉にならない。考える暇すらない 身体は今歩いてきた道を 回れ右して走り去ろうとしていた。が、衝撃と共に地から脚が浮く。
耳に何かが聞こえている気もするが それどころではない。
『喰われる』その思いがわきあがり暴れに暴れまくっていた。
捕らわれたわが身を あるだけの力で暴れさせる。その耳に聞きなれた声が聞こえてきても すぐには理解出来ない。死ぬ間際の走馬灯の一部かと思い考えると ふと 先ほど同じような状態で 同じ声をきいていたのを思い出す。『ん?』
ボウは般若の面をずらして見上げてみる。
「あっ 旅の坊主」
先ほど 寺の境内を登りきったときと同じ言葉をこぼし 同じ叱りの言葉が 同じ声で返ってきた。
「旅の坊主とはなんだ。そう 呼ぶなといったであろう」
ボウは安心したのもつかのま 今 感じていた恐怖の元に 視線をなげてみた。まさに得体の知れない者をみて もって生まれた防衛本能は あるだけの力 だせるだけの力で手足を動かせと命令してくる。
「わーっ鬼だ オニだーっ」
魂の奥底から あるだけの元気が出尽くすまでのあいだ。旅の坊主は蒼痣を増やしていった。
4
「んー・・・。」
子供の腕組みをした身体からは 唸り声だけが出ていた。
それは恐怖からではなく 苦しみからでもなく 言葉に出来ない想いが喉の奥底から自然とこぼれて来ているのだった。
「んー。」
落ち着きを取り戻して 坊主にしがみついて一点を観ていると
「まあ座れ いいから座れ」
と 地面に下ろされ 促す場所に 一点を見つめたまま 恐る恐る腰を下ろした。
視線を釘付けにしているものを 頭の先からゆっくりとつま先まで見てゆく。
「うーん・・。」
くるくると まるまったくせ毛が 焚き火の灯りで光っている。
ボウは背筋を伸ばし すこしずつ腰を浮かして立ち上がる。
「つ・・角が・・ないな・・。」
つぶやいてみる。
「みえないだけかな・・。」
少し腰をさげ
「眉もあかいや・・。目は・・オイラは茶目だけど ・・もう少しうすいなぁ・・鼻は凄くたかいや」
恐怖と好奇心で ぶつぶつとつぶやきながら鬼を観察していた。
「赤鬼かな・・・。身体はでかいや 厚みもあるし でも 怪力和尚のほうが強そうだ」
身体は毛深く 普通の大人よりもたくましく見えるが やつれた感じが見て取れる。腰にはボロをまとい 肩からは袈裟の お下がりをかけている。身体の露出している場所は赤っぽい 日に焼けているのか垢なのか 赤鬼だからか・・。
手足はヒョロリと長く みかたによっては かなりのあいだ ヒモジイ思いをしてきて 痩せこけたようにも見える。
「うーん」
ボウは再びうなり 鬼の顔を見つめる。
彫が深く 高い鼻 灯りのあたり具合によっては獲物を狙う山犬を連想させる。
「やっぱり ・・肉ばかり食べるのかな・・。」
ボウが鬼を観察し ぶつぶつとつぶやいていると 鬼が少し黄ばんだ白い歯をみせて ニッ と笑う。
「うっ」突然の笑顔に驚いて 腰を抜かしてボウが座り込む。
それを見て 旅の僧が愉快だと笑い出す。
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